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福岡地方裁判所小倉支部 昭和43年(わ)51号 判決

主文

被告人名越功を無期懲役に、被告人名越久司を懲役一三年に各処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中一、一〇〇日をそれぞれの刑に算入する。

本件公訴事実中、起訴状別紙一覧表番号4の事実(日本生命保険相互会社に対する詐欺未遂)について、被告人両名は無罪。

理由

(被告人らの身上経歴等)

被告人名越功は、父泰雄の次男として満洲で生まれ、幼時終戦により一家とともに引き揚げ、父が日本炭礦高松礦業所に就職した関係で福岡県遠賀郡水巻町の炭礦住宅で育ち、昭和三二年水巻中学校を卒業したが、家庭が貧困のため高校進学を断念し、製缶工の見習として働くうち、昭和三四年頃肺結核にかかり、同三六年頃まで結核療養所に入院して闘病生活を送り、その後兄久司の行う製缶業下請に加わり、「名越班」の名で若干の人手を集めて北九州や関東の各地で作業を続けたが、病弱なことや元請会社の倒産等の事情もあつて、四〇年末頃からは仕事がはかばかしく行かず、鉄骨仕上工などをして働いていたものの、その生活は父に頼りがちであつた。

被告人名越久司は、父泰雄の長男として福岡県下で生まれ、幼時家族とともに満洲に渡り、小学校二年生の時引き揚げて前記炭礦住宅に住み、水巻中学校、県立東筑高校を卒業後上京して中華料理店の店員などとなつたが、二年位して遠賀郡水巻町下二の両親のもとに帰り、昭和三四年頃から父とともに製缶下請業をはじめ、各地の作業現場を転々し、その間三四年末頃に長沢隆子と結婚して一男一女をもうけた(四二年三月二三日協議離婚)。昭和四〇年一〇月頃元請会社が倒産し、その頃から知人のもとで自家用自動車の運転をしたり、また翌四一年二月頃にはバーのホステスと懇ろな仲になる(後に同棲して一女をもうける)などして仕事にあまり身を入れなくなり、加えて心臓が強健でない上人手不足のためもあつて仕事がはかばしく行かず、小児麻痺の子をかかえて生活保護を受けながら各地で製缶工として働いてきたものである。

(犯行に至る経緯)

被告人名越功は、前記のとおり病弱で仕事に無理がきかず、父の稼ぎに頼らざるを得ず、この儘では到底一家の暮しが楽にならないことを焦慮し、なにか一挙に多額の金員を手に入れる方法はないかとあれこれ思案するうち、幼友達の山田勝夫(昭和一九年一二月四日生)を被保険者とし生命保険契約を締結したうえで同人を殺害し、これを事故死の如く装つて保険金を騙取することを考えつき、昭和四〇年一二年頃右山田に対し、「保険に入ると保険会社から金を貸してくれるからそれを二人の仕事の資金にしよう。もちろん名義を借りるだけで保険料は自分が払う」などともちかけて同人の承諾を得たうえ、昭和四〇年一二月二二日頃から同四一年一月二七日頃までの間、三井生命保険相互会社、明治生命保険相互会社、安田生命保険相互会社、東邦生命保険相互会社、第一生命保険相互会社ほか一社との間に、いずれも右山田勝夫を保険契約者ならびに被保険者、同人の実父山田寿治(安田生命については、山田勝夫の「法定相続人」)を死亡保険金受取人とする死亡保険金三〇〇万円、災害保険金一〇〇万円の生命保険契約(各一口ずつ、計六口)をそれぞれ締結し、一方被告人名越久司は、同年二月初頃、被告人功から右計画を打ち明けられるや、その頃借財もかさみ生計に困窮していたことから、右保険金の分配にあずかろうと考えてこれに加担することとした。このようにして被告人両名は共謀のうえ、折をみて右山田勝夫を殺害し保険金を騙取しようと決意し、同月頃から翌三月頃にかけて、保険金の受領を容易にするため、前記三井生命命保険相互会社、明治生命保険相互会社、安田生命保険相互会社との右保険契約の保険契約者ならびに死亡保険金受取人をいずれも被告人久司に、前記東邦生命保険相互会社、第一生命保険相互会社との右保険契約の保険契約者ならびに死亡保険金受取人をいずれも被告人両名の姉婿井手弘美にそれぞれ名義変更し、また山田に対しては共同事業の計画をもちかけたり、人夫集めを依頼する等して同人の関心を引きつけつつ、殺害の機会をうかがつていたが、同人を事故死に見せかけて殺害するだけの適当な機会に恵まれず、また、同人が実際に事故死する可能性も絶無とはいえないとの淡い期待もあつて、現実に殺害を実行するまでに至らないまま、徒らに日時を徒過するうち、被告人久司の保険料支払いも資金の上で次第に困難となり、いよいよ早い機会に殺害を実行するほかはないとの決意を固めるに至つた。

(罪となるべき事実)

第一  昭和四一年七月四日午後六時頃、被告人功は、前記山田勝夫からの電話で、同人が北九州市八幡区黒崎町三丁目にある飲食店「みずほ」こと吉武照子方で飲酒中であることを聞き知るや前記計画をいよいよ実行に移そうと考え、同日午後八時頃、八幡区木屋瀬のバー「アヤ」にいる被告人久司を訪ねて行き、同所において両名謀議のうえ、被告人功が右山田を前記「みずほ」から誘い出し、遠賀郡水巻町大字吉田の西鉄バス吉田停留所で待ち合わせている被告人久司と落ち合い、同町大字下二の曲川付近に連れ出し橋の上から水中に突き落して殺害する計画を定め、同日午後九時頃、被告人功が前記「みずほ」に赴き、右山田に対し、「人夫集めの金が被告人の家にあるから一緒に取りに行こう」などと言つて同人を連れ出し、前記吉田停留所で待ち合わせていた被告人久司と落ち合つて、同日午後一〇時過ぎ頃、被告人功方に向かつて歩き始めた。途中、前記曲川にかかる無名の橋にさしかかつたが、決行をためらつて通過し、しばらく農道に沿つて進み同町大字下二、四一一番地の一付近の灌漑用水路のコンクリート暗渠上に至つたとき、「山田が二、三千円の金も都合しきらんのか。」と言つたことで、一時ためらつていた殺害の決意が振い立ち、被告人功がいきなり山田の背後から肩をつかんで後に引き倒し、暴れる同人と被告人両名がもつれあつているうち三名ともに右用水路の水中に転落したが、被告人両名が山田の頭部や肩などを水中に押え続けて窒息死させ、もつて同人を殺害した。

第二、前記保険金騙取の共謀にしたがい、同年七月二九日及び同月三〇日頃、別紙詐欺犯罪一覧表記載のとおり、前後三回にわたり北九州市八幡区黒崎町四五二番地池田ビル内三井生命保険相互会社黒崎月掛営業所ほか二か所において、同営業所長藤原広隆ほか二名の者に対し、被告人久司において、右殺害の事実を秘し、前記山田勝夫が過まつて溺死したように装い、前記保険金(別紙請求金額欄のとおり)の支払を請求し、各保険会社から保険金受取の名目で合計金一、二〇〇万円を騙取しようとしたが、右保険会社が被保険者山田勝夫の死因に不審を抱き、これに応じなかつたため、その目的を遂げなかつた。

(証拠の標目)〈略〉

(弁護人の主張に対する判断)

第一、弁護人は、被告人らの本件についての自供調書は、軽微な詐欺事実によるいわゆる別件逮捕勾留中に作成された違法な証拠であつて証拠能力がなく、また、本件による逮捕勾留後の自供調書も別件逮捕勾留中のそれと大綱において変らず、一体としての自供とみられるから、これまた違法証拠として証拠能力を欠く旨主張する。

一、そこで、被告人両名に対する捜査の進展、身柄拘束状況、拘束後における取調及び供述状況等について検討するに、前掲各証拠〈略〉を綜合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 事件発生直後の捜査

昭和四一年七月五日早朝、福岡県遠賀郡水巻町下二の曲川灌漑用水路中において、男の変死体が発見され、医師の死体検案の結果、著明な外傷はなく、死因は溺死と判断された。

右変死人の所持品から、同人は北九州市若松区浅川三ツ頭に居住する山田勝夫(当時二一年)であることが判明し折尾警察署員が遺族について調査したところ、死亡場所の方向に友人の名越功が居住することがわかつたので、同日同人について事情聴取した結果、同人と右山田とは幼友達で、かねて功が山田に対し製缶下請業の人夫集めを依頼していたところ、前日の七月四日午後六時三〇分頃、山田から、人夫集めに金がいるので現金二、〇〇〇円を八幡区黒崎町の飲食店「みずほ」に持参してほしい旨の電話があつたので、兄の名越久司から二、〇〇〇円を借りて山田に渡した旨、その他別紙被告人取調等事件経過表(以下単に「別表」という。)41.7.5らん記載のような供述をした。同署員が右「みずほ」について調査したところ、名越功の申立てのとおりみずほで落ち合つたこと、飲酒中口論などはなかつたことが判明し、また遺族らかの取調べから、山田は身辺に格別の波乱がなく他人と喧嘩をしたり恨みを受けること等もなく、また朗らかな性格で心身に異常がなく自殺する原因はなかつたことも知り得たので、これらの状況から、同署員は右山田の死因は飲酒のあげく誤まつて水中に転落し溺死したものと推定し、それ以上捜査を進めることはしなかつた。

(二) 別件逮捕に至るまでの経緯

翌四二年に入り、右山田は生前多額の生命保険に加入し、その受取人が家族以外の者になつている旨の聞き込みがあり、また保険会社数社が右山田の保険について疑惑をもち、連合調査会を設けて調査中であることが判明するに及んで、折尾警察署は捜査を進めた結果、山田勝夫名義の生命保険加入状況は、名越功が山田を保険契約者、山田の実父などを受取人として、東邦生命保険相互会社ほか五社との間にそれぞれ四〇〇万円(災害保障保険金一〇〇万円とも)の保険契約を昭和四〇年一二月から四一年一月まで約一か月の間に次々と締結し、その後保険契約者及び保険金受取人を兄の久司(三社)と義兄井手弘美(二社)に変更していることが判明した。

このような状況から、折尾警察署は、山田の死亡はいわゆる保険金詐欺を目的とした殺人事件ではないかとの疑惑を抱き、福岡県警察本部と合同して再捜査を行うことに決定し、各保険会社の社員、外交員、山田の遺族及び友人、前記「みずほ」の経営者、名越兄弟の両親及び久司の先妻隆子等を順次取調べた結果、(1)右各保険契約はいずれも保険外交員の勧誘に基づくものではなく名越功が自ら保険会社等に出向いて契約(いわゆる飛込み契約)したものであり、その際山田を被保険者とする理由につき、同人は自分の使用人で、退職金にあてるために保険をかける旨外交員に説明しているが、実際にはそのような雇傭関係はなかつたこと、(2)契約の動機につき、保険会社調査員に対し、保険会社から営業資金の融資を受ける手段であるとか、契約を機会に外交員と親密になつて人夫集めを依頼する目的であつた等と述べているが、右に副うような事実は認められないこと、(3)保険料の支払いや前記保険契約者等名義変更の手続に山田が関与した事実は全くなく、死亡後の請求手続もすべて名越久司やその友人がしていること、(4)山田死亡の現場は同人方自宅とは反対方向にあたり、その方向には名越功以外に交友関係はなく、言わば山田を現場に結びつけるものとしては名越功以外に考えられないこと、(5)山田は前記「みずほ」において名越功が金を取りに行くというのについて同店から出たものであり、その際全く酔つておらず、酩酊による転落死を首肯させるような状況にはなかつたこと、その他七月四日夜名越兄弟が帰宅した際、その言動や服装等に平常と異なるものがあつたこと等が判明し、捜査側はますます前記疑惑を深めた。

昭和四二年一一月下旬頃、名越功は千葉県松戸市の鉄骨組立人夫の仕事をやめて、水巻町下二に帰つたが、福岡県警察本部は松戸市在住中の同人の動静等につき、殺人事件の捜査上必要ありとして松戸署長宛照会し、同署において調査の結果、同人が同年八月一九日頃、千葉県下で電気器具商吉岡勝からテレビ一台(時価六万円相当)を月賦購入名下に騙取したとの事実を探知し、右吉岡その他参考人の取調を経て、同年一二月二六日、詐欺被疑事件として松戸簡易裁判所裁判官に逮捕状(有効期間一か月)を請求し、同日その発付を得(別表42.12.26らん)、さらに同日福岡県警察本部に対し事件の引継をした(功の別件)。

また、名越久司については、同年一二月頃、折尾署員の聞き込みにより、久司が昭和四一年三月初め頃、八幡区香月町のバー経営者尾崎薫に対し、「自分の銀行預金口座に三〇万円ばかり預金すると銀行から八〇万円借り出すことができるので、そのときはあんたに五〇万円貸してやろう。一〇日間で必ず返すから三〇万円ほど貸してくれ、銀行から借入れができたらすぐに返す。」などと嘘を言つて同人を誤信させ、同月一二日頃、同人から現金二五万円を騙し取つたとの事実を探知し、右尾崎その他の取調を経て昭和四三年一月八日、詐欺被疑事件として折尾簡易裁判所裁判官に逮捕状(有効期間七日間)を請求し、同日その発付を得(別紙43.1.8らん)、さらに同月一五日、名越久司名義の銀行預金通帳等を対象として名越久司方ほか三か所に対する捜索差押令状及び前記と同一事実による逮捕状に再発付(有効期間七日間)を求め、同日それぞれの発付を得た(久司の別件)。

昭和四三年一月一六日早朝、福岡県警察本部捜査一課員らは、水巻町下二町営住宅の名越功方に赴いて折尾警察署芦屋警部補派出所に同行を求め、同派出所において功の別件につき若干の取調をしたのち、山田に対する殺人の嫌疑について取調を開始し、同日正午過ぎ頃からポリグラフ検査を実施した上さらに追及を続けた結果、功は山田と二人で現場を通行中口げんかとなり、取組合いの末水中に押しつけて殺した旨自供するに至つたので、その旨の供述調書一通を作成し(なお、同調書には供述拒否権を告げた旨の記載がない)、同日午後六時頃、同派出所において別件につき逮捕状を執行し、弁解の機会を与えたところ功は別件被疑事実を認めた(別表1.16らん)。

また、久司についても同様一月一六日朝八幡警察署に同行を求め、本件につき取調を開始したが、久司は事件当日の行動等についてはある程度供述したが犯行は否認し、捜査員は同日夕刻頃ポリグラフ検査を行つたが、供述調書の作成はせず、同日午後七時四〇分頃、八幡署において別件逮捕状を執行し、その際久司は別件被疑事実を否認した。

(三) 別件逮捕後の取調状況等

別件逮捕後における被告人両名に対する捜査官(勾留裁判官を含む)。の取調状況および事件の経過等の概要は別表記載のとおりであつて、一月一七日には功の本件につき二通、別件につき一通、久司の別件につき二通の各供述調書を作成し、翌一八日両名の各別件(功については逮捕事実のほか同一被害者からのテレビ一台騙取の事実が、久司については福永公夫からの手形用紙の窃取及び同人名義の約束手形一通の偽造等が追加された)につき福岡地方検察庁小倉支部に事件送致し、さらに同月一九日、名越泰雄、同和子、長沢隆子の各供述調書及び名越功の自供調書(一六、一七両日作成の計三とみられる)等を疎明資料として山田勝夫に対する殺人被疑事件(以下本件という)につき折尾簡易裁判所裁判官に両名に対する各逮捕状の請求をし、同日その発付を得るとともに、両名の各別件につき同裁判所に勾留請求をし、(なお、一八、一九両日の間に功の別件につき一通、久司の別件につき一通、本件につき二通の供述調書が作成された)翌二〇日各別件勾留状の発付を得てこれを執行し、次いで翌二一日午後六時頃、両名に対する本件による逮捕状の執行をし(なお、別件についてはその直前頃それぞれ釈放手続をした)、同月二四日に本件につきそれぞれ勾留請求をして即日勾留状の執行をした(なお、その際接見禁止決定をえて、同時にその執行を了している)。

右本件逮捕状の執行後同年二月一〇日に至るまで(その間、同月二日に同月一二日までの勾留期間の延長が認められた)、本件につきほぼ連日の取調の結果、両名の詳細な自供を得るに至り、功の司法警察員に対する供述調書一四通、検察官に対する供述調書五通、久司の司法警察員に対する供述調書一一通、検察官に対する供述調書二通が作成され、かくて同月一二日、両名に対する本件殺人及び詐欺未遂被告事件の公訴提起がなされるに至つたものである。

なお、本件起訴後、功の別件については起訴猶予、久司の別件については犯罪の嫌疑なしとして不起訴の各処分がなされたことが認められる。

二、ところで、いわゆる別件逮捕が許されるか否か、また、許されないとした場合、別件逮捕(勾留)が被疑者の自供にいかなる影響を及ぼすと考えるべきかについては議論の存するところであるが、当裁判所は、一般的に言つて、捜査官においてはじめから別件についての取調の意図がなく、専ら本来の目的とする事件(本件という)の捜査の必要上被疑者の身柄拘束状態を利用する目的または意図をもつて殊更に名を別件に籍りて逮捕状を請求、執行したものであることが取調状況等から客観的に認められるような場合は、かかる捜査方法は、憲法及び刑事訴訟法に定める令状主義に反し違法というべく、これによつて得られた本件についての自供調書は、本来厳格な手続規制により正義の実現を企図すべき刑事訴訟手続において事実認定の用に供し得ないもの、すなわち証拠能力を欠くものとして排除さるべきものと考える。そして右のことは、捜査官が形式的或いは名目的に別件についての取調を併せ行つたとしても、その一事によって左右されるものではないと言うべきである。けだし、別件逮捕(勾留)による身柄拘束の大半を本件の追及に費しながら、別件に関する僅かな取調、一片の調書作成によってすべてが正当化されるとするときは、結果的に司法的事前抑制の理念が潜脱されることに少しも変りはないからである。

右の見解に立つて考えると、被告人両名に対する各別件逮捕は、該逮捕に至るまでの前記認定のような経緯、各別件の内容・性質(概して、比較的軽微な事案といい得よう)、逮捕後の取調状況(久司については別件取調の部分も少なくないが、これとても主たる理由は同人の本件自供までに多少の時間を要したためともみられ、このことは、例えば同人の司法警察員に対する昭和四三年一月一八日付供述調書冒頭に、「私一人が責任をかぶつていくつもりでしたので今まで話ができなかつたのでありますが到底かくしおおせることではないと思いましたので云々」とあることなどからも窺うことができる。)等に照らし、別件につき強制捜査に踏み切るべき緊急の必要性が存しないのに捜査官が専ら本件殺人及び詐欺未遂被疑事件についての自供を獲得するためにしたものであることが客観的にも明らかと認められるから、右各別件逮捕中に作成された本件についての被告人功の司法警察員に対する昭和四三年一月一六日付、同月一七日付(二通)各供述調書、被告人久司の司法警察員に対する同月一八日付、同月一九日付各供述調書はいずれも証拠能力を欠くものとして採用できない。

しかしながら、進んで別件逮捕(勾留)による取調の後、引き続き本件についても逮捕(勾留)手続がとられた場合、本件逮捕後の自供をも同様証拠能力なしとして排除すべきか否かは、事案によって結論を異にすべき問題であると考える。この点につき、強制捜査の手続は全体として連続し一体をなす故に、別件逮捕による違法は右一体としての手続全体に及ぶとの見解があるけれども、本件について新たに逮捕状を請求してその発付を得、これを執行することは、新たな司法的判断を経由したという意味で実質的な消長はとも角(この点は後に検討する)、手続の形式上は別件による逮捕とは別個独立の手続であつて、これがない同一令状による拘置継続の場合との差を無視することはできないし、また、別件逮捕(勾留)中に得られた自供は違法であり、右違法な証拠を資料としてなされた本件逮捕(勾留)も違法である故に爾後の取調における自供も違法証拠となるとの見解があり、傾聴すべきものを含んでいるが、それは各種のニユアンスを具有するすべての事件につき一概に妥当すべきものとは考えられず、即ち捜査が捜査官の主観にのみ依存し所謂見込捜査の程度が高く本件逮捕(勾留)の疎明資料として被疑者の自供以外にみるべきものがない場合には本件逮捕(勾留)中における取調は違法な別件逮捕勾留中における取調べの全くの写像というべく彼此の取調に全くの合一性、連続性を認めて然るべきであるから、かかる場合右の見解が妥当するとしても、捜査が捜査官の主張に依存することなく現段階における客観的資料が相当調い被疑者の自供以外にも本件たる犯罪を犯したことを疑うに足りる第三者の供述証拠や状況証拠があつて、自供のみを主たる手がかりとしなくとも逮捕状発付がなされ得たであろうような場合には、右別件逮捕(勾留)中の自供が本件の逮捕(勾留)および爾後の取調に重要な契機或は影響を与えたものとはなしがたく、彼此のそれには連続性すら認めがたいので、右の見解は必ずしもあたらないであろう。

このように考えると、結局この問題については、証拠能力の有無を必ずしも一義的に断定することはできず、諸般の情況を勘案して決するほかないが、一応の指標としては、別件逮捕(勾留)が捜査官の主観において終始専ら本件の取調に利用することを目的または意図し、客観的にも捜査の全段階を通じて本件の取調ことに自供の獲得に全力を挙げこれに捜査の大半が費され、全体として一連の強制搜査権濫用の状態(捜査が甚だしく信義誠実を欠く状態と言つてもよいであろう。)が認められる場合には、自供調書の証拠能力を排除すべく、またこれをもつて足りるというべきである。

これを、右指標にそつて、その具体的かつ客観的基準を定立するならば、(1)別件逮捕(勾留)による身柄拘束が相当期間にわたるものか否か、およびその間本件逮捕状の請求及び発付もなされなかつたのか否か、(2)別件逮捕中の本件取調の程度が詳細にわたり、大綱において自供を獲得しおおせてしまつたものとみられるか否か、(3)被疑者と事件(本件)との結びつきが客観的に薄弱であり、したがつて自供に対する依存度が高く、いわゆる見込捜査の色彩が強いか否か、殊に身柄拘束前の捜査が犯人の割出しに難航していたか否か、さらに(4)(別件逮捕特有の問題ではないが)逮捕(勾留)中の取調べで、強制・偽計・利益誘導等の著しく不当な取調方法が用いられたか否か、(5)本件逮捕(勾留)状請求の資料として別件逮捕(勾留)中の自供が極めて重要なものとして挙げられていたか否か、および(6)別件に強制搜査の必要性がなかつたか否か、とくに被疑者との結びつきが少なく、あるいは軽微な事案であつたか否か等を考慮し、これらの全部または多くが積極的に認められる場合は、本件逮捕後の自供調書もまた別件逮捕勾留の違法の影響を免れず、証拠能力を有しないものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、本件逮捕状執行に先立つ別件逮捕勾留の期間は五日間(なお本件逮捕状請求及び発付の日までは三日間)であり、被告人両名の供述調書の通数も前記のとおり本件逮捕後のものが圧倒的に多い。これを内容的にみると、被告人功の別件逮捕中の供述調書は、偶発的なけんかの上の殺人であるかのように述べるに止まり、(とくに最初は功の単独犯と述べている)、本件の動機ことに保険契約の関係、現場に至るまでの経緯、共謀の状況、実行行為の態様等本件の核心となる重要な諸点については詳細にふれるところがなく、これらはすべて本件逮捕後になつて詳細かつ具体的な供述をみるに至つたものである。また、被告人久司のそれについては、一月一八日付調書では功と同様けんかによる偶発的な犯行を認めるに止まり、次いで同月一九日付調書において動機その他を含め本件犯行の大筋を述べるに至つたけれども、これとても共犯者たる功の供述状況が右のとおりであつてこれと綿密に比較対照しつつ取調べた結果とはみられないから、その内容になお不安定な要素を含むと言えなくもないし、また右調書作成の日が本件逮捕状請求、発付と同日であること(ちなみに、本件逮捕状請求書には右調書は疎明資料として掲げられていない)も無視することができない。また本件においては、前述のとおり、別件逮捕に至る以前の入念な捜査により、もし山田勝夫が人為により死亡したものとすれば被告人らに最も嫌疑が向けられるべき状況がすでに判明していたもの、すなわち事件と被告人らとの結びつきが相当程度強いものであつたと言い得るのであつて、前段所述のように、本件当初の捜査においては、犯人の偽装工作が或程度奏功したものか、死因が溺死であることや事故現場の状況から一見して人為を想定できうる事案ではなく、被疑者に殺害の契機となる顕著な原因が認められないかぎり他殺の可能性の少ないところ、一般通常の捜査では右原因を発見することができないものであつたから(因みに本件保険加入の全貌は当時遺族の知るところではなかつた)。転落溺死という死因と事故前の飲酒とが何のわだかまりもなく、たやすく結合できたというのであつて、いま右の点すなわち保険関係を捨去してみても、若し当日の山田の帰路等につき疑念が残り従つて事故前の飲酒に捜査の重点が掛けられなかつたなら、当然の帰結として事故直前まで行動を共にし重要な知人と目せられる被告人名越功らに第一次の嫌疑のかけられることは必定であつたろうし、況んや本件保険加入状況(とくに死亡受取人の名義変更や保険料支払状況)が判明し犯人の生活状況等に捜査が及ぶときは、被告人らに対し、その取調べをまつまでもなく、十分な嫌疑のかかること社会通念経験則に徴し自明の理であるというべく、この点多数容疑者のうちからさしたる根拠もなくさしあたり一、二の者を身柄拘束して追及するというような意味でのいわゆる見込捜査とは性質を異にするものがある。なおまた、拘束後の本件の取調方法自体に強制その他著しく不当な手段が用いられたと認めるべき証拠はない(この点は自供の任意性に関する判断として後にもふれる)。なおまた本件逮捕状請求の資料中に被告人名越功の一部自供調書が加えられているが、右に詳述した諸事情とくに他の資料から十分犯罪の嫌疑を推断できうることや右自供の内容程度からみて、右請求の審査に当り自供が重要な資料となつたものとは一概に断じがたいところである。(むしろ自供調書がなくとも令状発布が不可能ではなかつたとも推察されうる)。最後に別件被疑事実につき考えるに、証拠によるとその外形的事実は概ね認められるうえ、被告人らはその犯意を争つているが、犯意の存したことを窺わせる事情も全くないとはいえず(却つて被告人功については、この点の嫌疑相当ともみられる)、別件が被告人らに関係のない或は客観的に不確実な事実を想定して捜査を開始したものとは到底認められないし、また別件の被害金額はいずれも相当多額にのぼり、犯罪発生期もさして過去に遡るものではなくかつまたいわゆる知能犯として内容が若干込み入つた関係にあり、その他犯罪の手段方法ならびに態様などからすると、直ちに不問に付しうるほど軽微な案件とは做しがたいものと考えられる。

これら一切の状況からみて、前記説示のとおり、別件逮捕(勾留)の違法性は本件逮捕後の自供にまで影響を及ぼすものではなく、したがつてその後の自供は証拠能力を否定されないものと判断するから、弁護人の前記主張は本件逮捕後の自供に関しては採ることができない。〈以下略〉

(砂山一郎 田川雄三 日野忠和)

(別紙―省略)

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